【パレスチナ自治区で観光】僕が遊ぶ間に、道で人が死んでいた。


パレスチナって知っていますか?

よくニュースでは聞くけど、情報に関しては無知な人が多いのではないでしょうか。

僕自身そんなに詳しいわけではありませんでした。ニュースでしか出会わない別世界のような感じです。

しかし僕の友達は、そんな異世界にノリで行ってしまいました。

今回は僕の友達がパレスチナに一人旅をし、色々感じたことを寄稿記事として書いてもらいました。

最後まで読むと、パレスチナについての印象が次第に変わっていくと思います。

(最後の方に残酷な写真もあります。もし嫌な方は記事を見ないようにしてください。)

パレスチナの体験談よろしく!
任せろ!23歳サラリーマンの思いの丈を書いてます。

今さら聞けない、パレスチナ問題

皆さん、パレスチナ問題って何か知ってます?

聞いたことはあるけどよくわからないですよね。

僕も実際に行くまではなんとなく危ない所なんだろーなって事しかわかりませんでした。

というのも、日本で流れている情報と言ったら、イスラエル軍に攻撃されているガザ地区の事くらいです。


newyorktimes

好奇心旺盛過ぎる筆者は、どうしてもパレスチナで何が起こっているのか。人々はどんな暮らしをしているのか

自分の目で確かめたくなってしまい、勢いでTel Aviv(イスラエル)行きの飛行機をとってしまいました、、、一人で、、、社会人1年目の夏休みはこうしてパレスチナへと消えていったのです。

さて、いざ行くとなるとさすがに少しは事前知識がないと危ないかと思いまとめてみました。

パレスチナってどこにあるの?

まずはじめに理解して欲しいのは、パレスチナは国じゃありません

パレスチナは現在ほぼ独立状態にはありますが、厳密にはイスラエル国内にある自治政府の事を言うんです。(独立とはいえ完全にイスラエルの管轄下)

この地図の色が塗られている部分全体がイスラエル、その中にある2箇所の赤いエリアがパレスチナ自治区です。

濃い緑の地域はゴラン高原というのですが、これはこれでまた別の問題を抱えていてどこの国の領地かはっきりしていないエリアなんです。

ここでその説明をするのはめんどくさいからやめときます。

パレスチナ問題とは

そもそもなんで自治政府なんかができたのか?

理由は簡単。ざっくり言うと宗教の違いです。

イスラム教徒とユダヤ教徒で土地を奪い合って殺しあってるのです。

厳密にいうと99%一方的に殺され続けているだけですが。

ただ以外とこの問題が根深いわけですよ。だから今でも解決する気配がないわけです。

これまた一から説明すると、卑弥呼が生まれる1000年前までさかのぼる事になるので、やめときます。笑

23歳サラリーマン戦地パレスチナへ

まずイスラエルに着いてびっくりしました!

思っていた国と違うと言ったら失礼ですが、街並みはまるで先進国です。

今回はパレスチナについて書きたいので、自治区以外のイスラエルについては割愛させていただきます(3度目汗)

最激戦地ガザ地区へ

さあ、いよいよガザへ向かう時がやってきました。

事前に調べはしたのですが、「行っても壁の中には入れないだろう」とか「やめた方が良い」とか曖昧な事ばかり、、、

お金と時間を無駄にはしたくなかったので、近くにいた兄ちゃんにガザに入れるか聞いてみました!!

すいません、少し時間ありますか?
あるよ
ありがとう。これからガザ地区に行こうと思うんだけど、中に入れるのか心配で。日本人が行っても入れるか知ってる?
何でまたガザに、、、俺たちが行くよりは関係ない日本人が行く方が間違いなく安全だけど、検閲所を通してもらえないだろうな
ですよね、ありがとう。

念のためタクシーのおじちゃんにも聞いては見たが、「多分いけるよ!」とまた何ともはっきりしない返答が。。。

聞いて見たは良いものの「だろうな」では僕の好奇心の火を消しきる事はできず。

結局何もわからぬまま片道9000円かけてタクシーで行く事に。(ガザに行く公共の交通機関はありません)

ガザ到着

タクシーで1時間弱だったかな?あまり覚えてないけど、気さくな運転手さんと話してたらあっという間につきました。

Erez Crossing Point

ガザ地区には3箇所の検閲所がありますが、現在はここErezしか機能してないらしい。

到着すると、簡単なゲートがあってパスポートを提示。

わりと簡単に検閲所の中には入る事ができました。

中はこんな感じです。空港にあるような機械で荷物チェックをしてもらったその時でした。

どうしてガザに行くの?

何だかシリアスな雰囲気。選ぶ言葉を間違えれば追い出されそうな予感、、、
ここはそれっぽい事を言おう。

大学でパレスチナ問題について学んでいて、論文を書く資料にしたくて来ました。趣味程度ですが記事も書いているので、その材料にもするつもりです。
そっか。ジャーナリストではないの?
はい。あくまで趣味程度なので。

何だか嫌な予感が、、、

許可証は持ってる?

??????

許可証???聞いてない!!聞いてないぞ!!!でも持ってないものは仕方ない、、、

いいえ持ってないです。
申し訳ないけど、事前に申請して通らないと、ガザには行けないんだ。

ちーーーーん。

返す言葉もなく、結局往復2万弱と半日を無駄にして往復してきました。。。最悪のスタート、、、

旅行自体は最悪のスタートでしたが、そのあとはテルアビブとイェルサレムを満喫して、クレジットカードをバーに置いて来ちゃった事以外は順調にいってました。

一応写真だけ。

The Carmel arket(Tel Aviv)

Jerusalem Beach(Tel Aviv)

嘆きの壁(Jerusalem)

旧市街(Jerusalem)

という事で、ついにパレスチナ(ヨルダン川西岸地区)へ行ってきました。

パレスチナ唯一の観光地 Bethlehem ベツレヘム

ベツレヘムはイェルサレムの隣町にあり、パレスチナでもっとも栄えている街なんです。

イェルサレムからも公共のバスで1時間と、アクセスも悪くないです。

イエスキリストが生まれたとされるイエス生誕教会があります。

イスラエルとパレスチナを隔てる壁には有名なアーティスト、バンクシーの壁画があり、完全に観光地化しています。

全長約700キロにも及ぶ分離壁の一部

右上の塔にはイスラエル軍が常駐しています。

バンクシーの壁画の一つ

降誕教会

僕の知らない世界 Hebron ヘブロン

さて、ここからが本当のパレスチナです。

ベツレヘムからも公共の交通機関が出てないほどの街。

それでこそパレスチナ!僕もパレスチナに慣れてきたようです。

タクシーか途上国によくある乗合いタクシーで行くかの2択です。

乗合いタクシーは安い分、人数が集まってから出発のため、くそ暑い車内で30分以上待たされる羽目に、、、

ベツレヘムから約1時間。

そんなこんなでついに辺境の街ヘブロンにつきました。

ヘブロンに到着

驚いたのが、意外と栄えていること。

ヘブロンの街を歩く女性は100%ヒジャブで頭部を覆っていて、この全員がムスリムだと思うと日本人の私からしたらなんか不思議な感じ。(ユダヤ教徒も少数ながら住んでいる)

さて、早速この小さな街を探検しようと歩き始めたのですが、よほど東洋人が珍しいのか街行く人全員に見られるんです。

排他的な視線を勝手に感じて、完全アウェー

思い返すと、日本で珍しい顔立ちの外国人を見るとついつい見てしまいますよね、、、もう他人をジロジロ見るのはやめようと強く思いました。

気を取り直して歩き始めると、街のそこらじゅうに痕跡があります。

少し歩くと同い年くらいの若者に声をかけられて、少しだけ街を案内してもらう事ができました。

話を聞いていると、すでに両親を亡くしているそう。

アラビア後で話しかけてくるせいで詳細はわからず終いでしたが、初対面の人に話すほどこの街では特別な事ではないのかも、、、

この写真にもある、イスラエルの国旗があるユダヤ教徒の居住エリアに入ると、問答無用で撃ち殺されるとか。

この写真のゴミは全て上に住むユダヤ教徒によって投げ捨てられたもので、頭上のネットはそれを防ぐために張ったのだそう。

あー悲しい。本当に。

彼と分かれて少し経った頃に、ふとある事に気づいたんです。

みんな挨拶してくれる!

街に着いた瞬間は、正直歓迎されているとは思えませんでした。

でも少し無理をして笑顔で歩くようにしたら、瞬く間に仲間に入れてもらったような待遇になりました。

仲間というよりスターにでもなったかのような気分です。

“Welcome to Hebron!!!”

“Where are you from??”

“Oh!! Japan!!! Honda!! Toyota!! Panasonic!!”

って。二十歳くらいの若者が使っている携帯電話は、10年近く前の初期のスマートフォン

画質なんて今じゃ考えられないくらい悪くて、iPhoneなんて誰一人として持っていない。

もちろんそんな小さくて貧しい街に日本製の車も電化製品もあるはずはないのに、そう言ってくれる人たちの存在が素直に嬉しかったです。

いくら技術が発達したって本当に必要としているところには届かないんだなーと。

こういうところに来ると当たり前な事に対して真剣に考えさせられます、、、

子供たちはみんな寄ってきて、大人たちも笑顔で挨拶してくれる。

どうやら僕は、ヘブロンの人々を本気で好きになってしまったようです。

タクシードライバーとの出会い

日も暮れてきて、そろそろ滞在中の宿があるイェルサレムに帰ろうかと思い乗合いタクシーを探していた時のこと。

タクシーの運転手なら知っているだろうと思い話しかけてみると、

「知らないね。どこから来たの?日本??コーヒーいるか??」

ありえないほど不自然な流れに唖然、、、エスプレッソばりに少量のホットコーヒーを買って来てくれました笑

やっぱりこの人たち好きだわー

コーヒーをおいしくいただいていると、

お前俺んち泊まるか?

えっ???

出会って3分。宿泊許可がおりました笑。

でもすでにイェルサレムのホステルに泊まっているし、ありがたいけど今日はもう帰るよと伝えると、

もう暗くなって来ているし、街もタクシーで案内してやるから来るだけこいよ

少しだけ海外旅行慣れしている僕は、無料でタクシーに乗せてくれるなんてそんなうまい話があるわけない

到着した時に高額の請求をされるのはわかりきっていたが、優しさに対する感謝の気持ちと、もっと知りたいという好奇心には勝てずに着いていくことに。笑

紛争の爪痕

最初におっちゃんが連れてってくれたのは、廃校となった小学校。

あの割れている窓ガラスはイスラエル軍によって銃撃された跡だよ。

何も知らない日本人が返す言葉もなく、ただただ呆然としてしまいました

だって小学校ですよ?考えられます?しかも他国との争いでもなく、自国内での土地の取り合いで。

ガキかよ。

事情も対して知らない僕が最初に思ったのはこの言葉でした。

宗教ってなんなんだろう。神ってなんなんだろう。

そんな途方もない問いにかられたのは僕だけじゃないはず。

さて次に連れってくれたのはかつて街一番だった市場。

この場所もイスラエル軍によって銃撃された場所。

大勢の人々で賑わっていた光景を想像するだけで胸が痛みました。本当に。嘘じゃないです。

今では封鎖されて近づくことも許されない。

こうしてイスラエル軍は少しづつ領土を自分たちのものにしていってるんですね、、、

ヘブロンで濃密な時間

その後はヘブロンで幅を聞かせている?社長のところに2箇所(2人)も連れてってくれました。

写真は撮りそびれてしまいましたが、ヘブロンにある商品は99%が中国から安く仕入れてきたものだそう。

安かろう悪かろうと言いますが、裕福でない地域の人々にとっては手に入らない高品質な日本製の製品より、手に入るそれなりに使える中国製の方が遥かにありがたいんだと感じました。

日本を批判するつもりもないし、ましてや中国を褒め称えているわけでもないです。

今の自分に何ができるんだろう。と考えたところでそんな簡単に答えが出る問題でもないので、今後も人生をかけて問い続けていこうと思います。
本当です。嘘じゃないです。

おっちゃんとのヘブロン散策も気づけば21時。

街でコーヒーを飲んでから既に3時間経っていました。

もうとっくにイェルサレムに帰る手段はなくなっている模様。笑

一度諦めちゃえばもう怖いもんはない笑

おっちゃんもおっちゃんで農家のぶどう園からぶどうを一房もぎ取ってきてくれたり、イスラエル料理を食べさせてくれたり(自腹)。
なんだかそろそろ家に帰りそうな雰囲気、、、期待が膨らみます笑

少し経って何やら住宅街らしきところで停車。ついに家に到着。

と思いきや、僕だけ知り合いのおじさんの職場らしきところに降ろされました、、、

おっちゃん自身は車からおりずに、

I’ll be back

と一言。

車で走り去って行きました、、、

お前はアーノルドシュワルツェネッガーかて。

何分後に戻るのか、はたまた数時間後になるのかもわからないまま待つことに。

なんかもう戻ってこないような気も、、、笑

お礼くらいはしたかったなーとか、明日どうやって帰ろうかなーとか考えてるうちに、

どこからともなく子供達がやってきました!

WOOOOW, WELCOME TO HEBRON!!! WHERE ARE YOU FROM?

お決まりの歓迎文句!笑

人生でこんなに歓迎される事は後にも先にもないだろうというくらいの人気者に笑

ここでも一つ前の写真のふくよかなおじさんが売り物のジュースをくれたり、子供達がタバコをくれたり。

自分より、ずっと質素な生活をしてるはずなのに、
初対面の人にこれだけ優しくできる心の豊かさは、現地に来てみないと感じることはできないもの
だと改めて痛感。

本当に来てよかったなー。

子供達とワチャワチャ遊びながらも、ヘブロン防衛委員会(詳細は後で)の重役と真剣な話もでき、あっという間に1時間以上が経過。忘れた頃におっちゃんも帰って来ました。笑

5人ほどFacebookを交換し、みんなとお別れ。

仲間に入れてもらったような感覚がとても居心地が良くて、もうおっちゃんの家なんてどうでもよくなってきた頃に、おっちゃんに家に連れて帰られました。

おっちゃんタイミングよ。笑

パレスチナの家でまさかの宿泊

車で10分ほど走ってようやく到着。

おっちゃんの家は街の中心地からは少し離れた住宅街にありました。

ここでも可愛いお孫さんたちがお出迎え。

まだ人見知りをするくらいの子供たちでお決まりのフレーズはもらえませんでしたが、おじいちゃんに駆け寄る子供達を見てるだけで幸せな気分。。。

どうやら両親は隣の家にいるようで、家にはおばあちゃん(おっちゃんの奥さん)とお孫さんたちしかいませんでした。

またこのおっちゃんに抱かれてる子が可愛いのなんの笑
この家でも、パンとスープ、紅茶まで頂きました。
本当にご馳走様です。

さて、時計の針はもう23時を回る頃。そろそろどこに寝かせてもらえるのかを考え始めます、、、

ベッドはなくても最悪このリビングにあるソファ使わせてもらえればいいや。とか考えてたその時!!!

外でもいい?
えっ
寝るの外でもいい?

まさか屋外じゃないだろーな、、、ここは部屋の外という可能性にかけるとしよう。

もちろん、どこでもいいですよ!
妻が恥かしがりでね。よその人が来ると隠れたがるんだよ

思い返せば、異性との交流経験が極端に少ないムスリムの女性は他人の男性とは基本的に話すことをしないし、結婚するまでスキンシップすらないというような話を聞いたこともある。

そういえば、留学時代にムスリムの女の子と付き合った男友達が、何もやらせてくれなくて別れてましたわ笑。

それなら仕方ないと思いつつ案内された先は、、、外。

ベッドはあるよ??
でもついさっき夜中に外で変な動きを見せたら空を巡回してるイスラエル軍に撃たれるって話してたの誰よ

もう二度と目を覚ます事はないのかもしれないとか思うと、この旅の楽しい思い出が走馬灯のように浮かんでは消えた。

なんなら普通に寒いし。

ホステルでシャワー浴びて屋内のベッドで寝たかったなーとは思いつつ、こんなに良くしてくれたおっちゃんが言うなら仕方ない。

ちなみに朝起きて撮った写真がこちら。

普通に外。

まあ熟睡はできなかったけど貴重な経験といえばこれ以上ないほどの経験でしたね笑

日本人でパレスチナ自治区内でイスラエル軍に監視されながら野宿したのは、僕くらいじゃないですかね?笑

そんなこんなでいよいよおっちゃんともお別れの時。

もう帰るのか?
うん。バス停まで送ってくれる??
もちろんさ。

ありがてえ。

帰りはなんだかあっという間。
15分ほど(体感時間は5分)でバス停につきました。

ここで一つの矛盾に気づきます。

あれ??昨日バス停の場所わからないって言ってなかったっけ??

、、、まあいいでしょう。笑

それよりも驚いたのが、おっちゃんが
「昨日の分はチャラでいいから、今朝のタクシー代だけくれ」と。

てっきり4時間分の交通費を請求されるものと思っていた僕は拍子抜け。

なんていいおっちゃんなんだ。。。
気持ちの分を上乗せして少し多めに。

ハグを交わしておっちゃんとはここでお別れ。
ヘブロンともここでお別れです。

こんなに名残惜しい気持ちは10人くらい友達ができたローマを去る時以来。。。

絶対また来よう。

そう心に決めた23歳のある夏の日でした。

ヘブロン防衛委員会-Hebron Defence Committee-

さて、その後はパレスチナの他の街へ行ったりヨルダンを回ったりで、(イラクで拉致殺害された香田さんが最期に泊まった宿にも宿泊してきました。)楽しい時間を過ごす事ができました。
(イスラエルの空港でパレスチナ自治区内に行った事を話したら2時間にわたり別室で尋問を受けて服を脱がされはしましたが。)

そんなこんなで無事日本に到着し、Facebookを見てみると、、、

Hebron Defence Commmitteeに招待されました。

え?ヘブロン防衛委員会?

なんじゃそりゃ。てか承認するタイプのグループではなく強制参加のグループのようで、気づいた時にはメンバーの一員になってました。笑

これがどんなグループかというと、パレスチナ(主にヘブロン)で起きた事件や、ニュースの内容。先日のトラ◯プ大統領の発言の事など、毎日必ず何かしらポストされ続けていて、それに対して少しの議論が行われている様子。

しかも27万人いるグループなのに投稿しているのはほとんどあの夜に話した重役のおじさん。

なんかとんでもない人と繋がってしまったのかもしれない、という恐怖というかなんとも言えない感情が。笑

この人なら色々知っているかも!と思い、記事を書くから写真をくれ。と頼んでみました。

パレスチナの旅で感じた事

これらは送られてきた写真のほんの一部であり、中には幼い子供の写真もいくつもありました。

2枚目のピンクのTシャツを着た男性が写っている写真。

この方たちではないですが、僕が街にいる時も同じようにイスラエル軍の集団を二度見ました。そしてそのうちの一回は写真と同じような状況でした。

こんなに人だかりはできていませんでしたが、

何もしていない若い男性が、いきなり複数のイスラエル軍に取り押さえられて連行されていく姿。

そしてその後ろ姿を眺める家族ではないであろう少年。

しかしその状況を目の当たりにした少年が大人になった時に抱く感情はなにか。

パレスチナの人たちが侵略するイスラエルに対して必死に抵抗するのは、宗教の違いや土地の奪い合いなどではなく、もっと単純な、人間である以上誰しもが持っている

”復讐”の心なのかもしれない。

とか言ってみる。

とにかくここまで読んでくれている方なら、僕が遊ぶ間に、道で人が死んでいた。の意味もわかってくれたと思います。

限りある時間を遊んで楽しく過ごすのはいい事だと思います。

ただ、地球上にはこういった恵まれない環境に置かれた人たちがたくさんいて、その事をちょっとでもいいから考えるだけで、もしかしたら少し遊び方が変わってくるかもしれませんね

それではまた。

パレスチナの印象はとにかく危ないでしたが、少し印象が変わりましたね。パレスチナに行って、こんなに周りに友達ができるのは国民性もありますが、彼の能力もあると思います。最後にも書かれていますが、こんな価値観を変えられる機会って人生でそんなにないです。いい経験をしてきたようで羨ましいです。ありがとうございました。

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